CYCLIST FAN

トラックレース&競輪を中心とした自転車競技情報ブログ

 アジア選手権取材裏話?

現地レポーターも無事帰国し、レポートが届いたと思ったら…。
とりあえず現地レポーターの思いの丈が綴ってありますので、お時間のある方は読んでみて下さい(←冷たい言い方)。
写真も膨大な量があるため、只今必死に整理中。少しずつでもアップしていきたいと思っていますので、待っていて下さい! すみません。


では現地レポーターからのレポートです。


2009 Asian Cycling Championship 取材後記

Hello!って、何日ぶりでしょうか?
12日にホテルからのレポートが最後だったような気が…。
申し訳ありません。
随時、電話では速報を送っていたのですが…


本当に今回のアジア選手権は大変で、レポートも書けず、ただただ死ぬばかり。
何が大変だったかって?
スケジュールです。運営です。きつ過ぎ。
平均睡眠時間3時間半。競技開始日からお腹が壊れ、これまた大変。
しかし、選手達の方がもっと大変で、バンクがガタガタ。
練習風景を見ているだけでも、ポンポンはねているのがわかる。選手の中には、サドルが当たり、股ずれがひどくなってしまったものもいました。




さて、初日14日はトラックだけでした。しかし、ここからが地獄の始まり。
まず9時スタート予定が、大幅に遅れ(まったく何もリハーサルされていない)、10時30スタート(たぶん)。
で、ベロドロームは全天候型の室内バンクですが、雨漏りが…。このバンクは、つるつるで、濡れようものなら、落車間違いなし。
よって、乾くまで待ち。終了予定は、17時30分。しかし、競技が終了したのは22時30分近く。
ちなみに、この日は6時50分にホテルを出発。ベロドロームに着いて、スタートリスト、リザルトはどこでもらえるのか聞きまくっても、
「さー?」
「コミッセールじゃない?」
「こっちじゃないオーガナイザーだ」
「じゃあどこ!」
誰もわかりません。
プレスの申請をしていても、なんの役にも立たないのでした。
チームには、チームの用ボックスがあり、出ていましたけど。
そう、ちなみに、取材申請をして、再三メールを出していたのですが、戻ってきたのは2回。それも訳のわからないメール。でした。
もうここから、始まっていたのかもしれません。


翌15日は男子エリートのロードレース。
これは13日の話ですが、組織委員会に再三、どこがスタートなの?と聞いても、CYCLIST FANに掲載したあのマップしかないと言い、どこがスタート地点かわからない。
大体初めての土地で、それも何が書いてあるかわからないものを見せられたって、わかるわけがないでしょう。
しょうが無いから、サマリンダの地図を買って、どこか教えろ!って聞いたら、
「これが(地図)必要だね」だって。
溜息でした。


で、話は戻り、8時にホテルを出発。現地には、8時30分到着。
日本チームの写真をぱしぱし撮りながら、またスタートリストをくれと言ったら、ここでもたらい回し。
で、9時スタートが、9時30分。
待っている間、インドネシアのメディアと、どうやって撮影ポイントまで移動するのか、相談して(コミッセールもオーガナイザーもわからないという返答)、
出た答えが警官に聞く。
そしたら、中央分離帯の反対側を逆走するなら良いよというお返事をいただき、私が雇った車のドライバーが、スタート前に居た兄ちゃんを捕まえ、
バイクを借りそのままバイクのドライバーとなり、GO! ノーヘルです。二人とも。ちなみにこのドライバーは、英語ができません。
まあいいや!ですね。


レースの方は、スタート前でも、ヴィノクロフはさすがにライダーの中で大人気で、写真撮られまくり。
そして「パンっ」とピストルの合図でスタート。
清水都貴が序盤から逃げ集団に入り、積極的に逃げるが、靴が無かった…。自身の靴を、自転車の箱の中に入れて送ったのですが、ロストバゲージ
インドネシアには着かなかったのでした。
日本勢は、次々にリタイアし、最後は佐野淳哉だけが走っていました、頑張って。
終盤、ヴィノクロフとフォフォノフ、ワン・カンポーが逃げ、残り1周手前で、フォフォノフがアタック! 
そのまま逃げ切りフォフォノフが優勝、2位ヴィノクロフ、3位イグリンスキーで、佐野も何とか前にいて、5位。
さて、このレース中に、日本チームの補給地点の移動を手伝ったりして(補給地点が下りになっていて、取れるかい!ってな感じのとこだったので登りに変更。
コミッセールも認めてね)、バタバタとして、またバイクにまたがって撮影をしていたのでした。


表彰が終わり、サマリンダからテンガロンに移動。こちらはすかさず自分の車で移動し、約50分、トラックスタートの15時前に到着。が…
コミッセールが来ていない!
時間は過ぎ、トラック競技が始まったのが16時。昨日のことを考えるともう24時を回るだろうなと予想はしていましたが…。
予定調和通り、不順調に進み、終わったのは午前1時。最後の男子オムニアムで集計ミスが発覚し、当初イランが3位に入っていたのが、4位に。
表彰まで並ばせて、国旗まで掲揚台に付けておきながら、チェンジ!
イランの猛抗議を受けたコミッセールが、イランを納得させたのが午前1時だったのでした。
ちなみにこの日行われた男子スクラッチでも、1回目のリザルトに着位ミスがあり、猛抗議をコミッセールが受け、決定したのが、翌日16日の一番最後でした。
私がホテルに着いたのが、午前2時過ぎ。もういい加減にしてくれってこれで切れていた人たちは私を含め何人いたのでしょうか。
本当に翌日の女子ロードは行くのを止めようかと思ったぐらい疲れた一日でした。


しかし、翌16日は8時過ぎに出発。結局、女子ロードを撮影しに行ったのでした。我が車のドライバーも大変だよね。
今回はスムーズにスタートし9時号砲。
西加南子がいい走りをしていました。終始積極的に走り、先頭を引いていたのですが、残り1周半、テクニカルなところの上りで中国にアタックされ、反応できず、そ
の後ろの集団で、チャンスを狙っていたのでしたが、最後のゴールスプリントで、前に出られず5位。惜しい…。


そして、ここからまた移動。テンガロンへ。13時ぐらいについて今度は余裕!コミッセールも来ている!なんて思ったら、また雨漏り。……。
まあ、アジアですからね。
それでも、なんとか24時に終了し、トラックは終わり。色々ありましたが、良かったですね。なんて、思っていたら、翌日はロードのタイムトライアル。
男女ジュニア、男女エリートが行われる予定。
9時スタート。
これは本当に迷って、結局行ってしまいました。もう、寝ていたいという欲求にかられながら。
ヴィノクロフ強いね。さすがやね。前をどんどん追いこして、ぶっちぎりの強さで優勝。来年はアスタナでチャレンジすると言っておりました。たぶんツール?


すべて終了し、私の取材も終了し、ホテルに。
で、関係者の方と飲んで、仕事をしようかと思ったら、睡魔が…。なので、これだけ遅れてしまいました。
以上言い訳レポートです。レースリポートは、リザルトとにらめっこしながら、アップします。
写真もね。
もうしばらくお待ちを!